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Veterans for Peace Solidarity Action/退役米軍人ら連帯の座り込み抗議「辺野古にも高江にも新基地要らぬ」

Posted on Sunday, December 13, 2015 No comments
両脇を抱えられて、機動隊車両と鉄柵による囲い込み場所へ連れて行かれるVFP
メンバー=11日午前7時24分、名護市辺野古
Thanks to Masami Mel Kawamura, who writes: Along with other local protesters, the VFP members were forcefully removed by Japanese riot police. Nonetheless, the VFP members' presence was a huge boost to the sprit of the local protesters. After regrouping themselves at the main gate of Camp Schwab, the protesters celebrated their solidarity with each other and their commitment to creating a peaceful world. 

基地内に入る米軍車両に新基地建設反対を訴えるVFP
メンバー=11日午前7時50分、名護市辺野古
【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する市民の座り込みが続く米軍キャンプ・シュワブゲート前で11日午前、米軍の退役軍人らで構成する平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」のメンバー11人が座り込みに参加した。旧ゲート前で英語で「辺野古新基地はいらない」「普天間飛行場の閉鎖を」「高江にヘリパッド要らない」と書かれた横断幕を掲げ、移設に反対する市民ら約80人と拳を上げた。

両脇を抱えられて、機動隊車両と鉄柵による囲い込み場所へ連れて行かれるVFPメンバー=11日午前7時24分、名護市辺野古  米海兵隊員としてイラク侵攻にも出兵したマイク・ヘインズさんは、機動隊員に抱えられて排除される時も「NO NEW BASE」と訴え続けた。  

新ゲートでも抗議デモと座り込みが行われ、VFPのメンバーがあいさつした。VFP全国組織の理事タラク・キャウフさんは、イギリスや韓国での連帯経験から「辺野古の反対運動は国際的な広がりを持っており、世界中で同じ闘いをしている人がいる。私も皆さんと一緒に闘い続ける」と激励した。  

早朝抗議行動にVFPが参加したため機動隊らは「日本人から排除。外国人は後」と声を掛け合い、慎重さを見せる場面もあった。  11日は、午前7時ごろと同9時ごろに砕石を積んだダンプカーやミキサー車などの大型車両13台を含む工事関係車両約20台が基地内に入った。  大浦湾海上では目立った海上作業は確認されていない。市民らは抗議船4隻、カヌー13艇で抗議行動を続けている。 【琉球新報電子版】

 FROM http://ryukyushimpo.jp/news/entry-186778.html

パ┃レ┃ス┃チ┃ナ┃最┃新┃情┃報 151207 SRメルマガ

Posted on Monday, December 7, 2015 No comments
本日のメルマガ

(1)ニュース速報


 ┏━━━━━━━┓
■□ ニュース速報 □■
 ┗━━━━━━━┛

パレスチナ人の「一匹狼」による、イスラエル人へのナイフ攻撃、イスラエルの
兵士や警官、警備員らによる即決処刑、また、投石するパレスチナ人の若者に対
するイスラエル治安部隊の容赦ない実弾射撃、こうしたことが、パレスチナ・イ
スラエルの日常となってしまいました。今回は、その具体的なニュースは紹介し
ませんでした。不遜な言い方ですが、キリがないのです。

ガザ地区の窮状も緩和される見通しが立っていません。

一方で、入植者を中心とする極右のイスラエル人による、パレスチナ人への挑発、
ハラム・アッシャリーフ構内での礼拝強行も止まず、これが、火に油を注いでい
ます。

7月のパレスチナ人住宅放火殺人事件で、被疑者数人のイスラエル警察による逮
捕が公表されました。その氏名や人数は伏せられています。

以下、12月3日以降のニュースです。

【12月3日(木)】

■パレスチナ人住宅放火殺人事件でイスラエル極右の若者を取り調べ■

イスラエル警察は、7月31日にナーブルス近郊のパレスチナ人住宅放火・殺人事
件で、「ユダヤ・テロ・グループに属する複数の若者を逮捕、取り調べを行って
いることを認めた。被疑者の氏名などは公表されていないが、警察は、犯行につ
ながる「確かな証拠」をつかんでいるという。

この放火事件では、就寝中の幼児(18か月)が焼死、両親も、やけどで入院中、相
次いで死亡、4歳の男児が重症で治療中。焼け跡から「報復」「メシア万歳」の
落書きが見つかった。

この事件は、その後の聖地「ハラム・アッシャリーフ」(ユダヤ教で「神殿の
丘」)への、イスラエル当局によるイスラーム教徒アクセスの制限と合わせて、
パレスチナ人の怒りを増大させ、ナイフ対射殺という「暴力の連鎖」の端緒とな
った。(12/3Reuters ほか)


【12月4日(金)】

■ヨシ・サリド元メレツ党首が死去■

クネセト(イスラエル国会)議員、教育相などを務めた、ヨシ・サリド元メレツ
党首が、心臓発作で死去。75歳だった。

葬儀には、労働党、メレツ、統一アラブのクネセト議員らが参列。サリド氏を敵
対視していたリヴリン大統領も、同氏の生前の活躍に賛辞を述べた。

彼の最後のコラムが公表された。その中で、サリド氏は、イスラエル政府のユダ
ヤ人テロリストに対する罰が緩いと批判している。

ヨシ・サリドは、1940年生まれ。1974年から2006年の引退まで、クネセト議員と
して外交・防衛委員会などに在籍、労働党政権のもとで、環境相、教育相を歴任、
シオニスト左派・ハト派の代表的な政治家をして活躍。政界引退後は、執筆活動
などを続けた。(12/4  Haaretz)

■ラファハ検問所、2日間だけ開放■

エジプト当局は、ガザ地区とシナイ半島を結ぶラファハ検問所を、再度閉鎖した。
同国の治安筋によると、3日から4日の閉鎖の間に、ガザ地区からエジプトへ628
人のパレスチナ人が出国、エジプトからガザ地区へは259人が戻った。この間、
医薬品や建材を積んだトラック数十台が、同検問所からガザ入りした。

このほか、午後7時以後、検問所通過待ちのパレスチナ人350人は、夜間外出禁止
令のため、現地で足止めされた。

同検問所の開放は、今年中でわずか合計37日間。「緊急の必要」で通過を申請し
ているパレスチナ人のうち、2万5千人以上が順番待ちを強いられている。
(12/5 Maan News)


【12月5日(土)】

■ケリー米国務長官「イスラエルは、自分たちのやっていることが分かっているのか」■

アメリカのジョン・ケリー国務長官は、シンクタンク「ブルッキングス研究所」
で講演、パレスチナ自治政府のアッバース大統領が、紛争解決に絶望的になって
いると語った。

先月イスラエルとパレスチナを歴訪したケリー長官は、イスラエルがC地区での
入植活動を続けていることを強く批判、パレスチナ自治政府が解体すれば、イス
ラエルが占領地の治安・行政などの責任を負わねばならないと指摘した。

「西岸地区でパレスチナ自治政府の治安部隊が無くなれば、イスラエル軍が数万
人の兵力を無期限に駐留させねばならなくなる」「イスラエル人は、自分たちの
子供や孫を、占領地の軍務に就かせる用意があるのだろうか」と、ケリー長官は
問いかけた。

「入植地(の新増設)は、(パレスチナ人の)暴力を正当化する理由にはならな
い。しかし、入植活動の継続でイスラエルは何を望んでいるのか。パレスチナ人
との分離(=二国解決)を一層難しくする。彼らは判っているのだろうか」と国
務長官は、イスラエルの強硬姿勢に疑問を投げかけた。(12/5 Reuters)


【12月6日(日)】

■クリントン前国務長官「大統領に当選したら、まずイスラエルとの軍事協力強化」■

次期アメリカ大統領選挙で民主党から立候補を目指している、ヒラリー・クリン
トン前国務長官は、ブルッキングス研究所で講演、大統領に当選したら「就任初
日に何をするか」との質問に対し、「イスラエルの首相を招待、両国の軍事協力
の強化を図る」と答えた。また、イランとの関係で、軍事力行使も「選択肢のひ
とつ」と述べた。クリントン氏によれば、イランには、アメリカとの核合意違反
につながりかねない「挑発的なふるまい」が見られるという。(12/6 Reuters)


【12月7日(月)】

■エルサレムアラブ地区の建築許可は、わずか7%■

同日のHaaretzが報じた統計によると、過去数年間、エルサレム市内のアラブ地
区での建築許可は、市全体のわずか7%だった。アラブ地区の人口は、全市の
40%を占める。

今年の場合、東エルサレムで認められた建築工事158件のうち、3分の2以上にあ
たる107件がベイト・ハニイーナ地区に限られていた。残り51件が、その他のア
ラブ地区での建築許可だった。

2014年では、エルサレム全体の建築許可は、合計3238件だが、アラブ地区では、
たったの188件。過去5年余をみると、全市の許可件数11,603に対し、パレスチナ
人居住区では、わずか878件、全市の10分の1以下となっている。

エルサレム市会のローラ・ウハルトン(Laura Wharton)議員(メレツ)がNGOか
ら入手したデータは、2010年を境に、アラブ地区が集中する東エルサレム地区で
の建築許可が、以前の年間平均400件から、同200件へと半減していることがわか
る。

東エルサレムのアラブ地区では、建築許可の基礎となる都市計画ができておらず、
住民は、やむなく無許可で住宅などを建設、その都度、イスラエル当局による家
屋取り壊しが続いている。(12/7 Haaretz)

全文は:
http://www.haaretz.com/israel-news/.premium-1.690403

■ガザ地区の窮状:住民の80%が経済支援対象■

Jerusalem PostがUNRWA(国連パレスチナ難民救済機関)の最近のレポートとし
て伝えるところによると、180万人のガザ住民のうち、80%以上が、何等かの経済
支援を受けている。また、多くの学童が、生活費を稼ぐため、学校を中退、路上
などで働いている。

ガザ地区は、長引く封鎖で経済が困窮、失業率は、世界で最高水準だという。
(12/7 Jerusalem Post)


(出典:Haaretz 、Jerusalem Post、Maan News、Reuters)


<注1> 2007年以来、事実上分裂状態にあったパレスチナ自治政府は、2014年
6月、統一内閣を発足させました。統一合意では、暫定政府のもと、6ヶ月以内
にPLC(パレスチナ立法評議会)と大統領選挙が行うことになっていました。
期限を大幅に過ぎましたが、選挙準備も、西岸・ガザ地区の行政機構の整理統合
も進んでいません。関係者のタイトルなど、一貫性に欠けることもあると思いま
すが、ご了承ください。

<注2> 2012年9月の国連総会決議で、パレスチナは、国連の「オブザーヴ
ァー国家」として承認されました。「パレスチナ国家」「PLO」「パレスチナ
自治政府」の関係がどうなるのか、国際法的にも微妙な問題があります。パレス
チナの組織やパレスチナ人の役職などをどう表現するか。この点についても、そ
の都度判断することにします。

<注3> 各ニュース記事末尾の(カッコ)内は、その主なニュース源です。必
ずしも、元の記事の翻訳や抄訳ではありません。とくに断らない限り、Webサイ
ト上の情報です。日本語ニュースの場合、固有名詞の表記などは、編集者の判断
で変えることがあります。

<注4>ここでは、時々、熱川勇太さん提供の情報、東京外大AA研翻訳の記事を
使わせていただいております。

<注5>以前からお気づきの方もあると思いますが、アラビア語、ヘブライ語、
その他の人名、地名などのカタカナ表記は、統一できていません。原音に近い表
記、日本で慣用されている表記など混用しています。正確な固有名詞を確認する
場合は、記事末尾の主な出典を参照の上、関係サイトなどをご覧ください。



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講演会、シンポジウム、展示会などに関する「お知らせ」記事の投稿を受け付
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1)対象:パレスチナに関係の深い行事・催しなどで、一般に公開されるもの。
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     レスと電話番号)、そのほか最小限必要な情報を必ず明記すること。
3)字数:1行36字以内(空白含む) x 50行以内
4)スタイル:とくに限定しませんが、なるべき箇条書き、簡潔で読みやすい
       よう心がけてください。
5)投稿:Eメールで、10日以上前にお願いします。
6)問い合わせ:編集部から、内容について問い合わせることがあります。
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編集人:奈良本英佑
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琉球新報連載『正義への責任―世界から沖縄へ』が本になりました

Posted on Sunday, December 6, 2015 No comments
From Peace Philosophy Centre: おしらせ

11月は忙しさのため、このブログ開始以来、一か月間ブログが更新できないという記録を初めて作ってしまいました。このブログを評価して楽しみにしていてくれる読者の方々にお詫び申し上げます。ブログ運営人は元気にしております。このたび、昨年9月から2週に1度のペースで連載してい
琉球新報11月26日社告
る琉球新報の『正義への責任ー世界から沖縄へ』のシリーズが冊子になりました。米国をはじめとする各国の識者・ジャーナリスト・活動家らがそれぞれの立場や専門性から、沖縄の米軍基地過重負担という不正義に対する責任と行動を示すというシリーズです。この本には1-13回目が収録されています。筆者陣は、ピーター・カズニック、アレクシス・ダデン、ジョセフ・ガーソン、キャサリン・ルッツ、ハーバート・ビックス、キャサリン・ミュージック、ガバン・マコーマック、クリスティーン・アン、スティーブ・ラブソン、ポール・ジョバン、マーク・イーリー、ローレンス・レペタ、と私(乗松聡子)です。翻訳・編集も担当しました。沖縄の書店と、ジュンク堂書店で手に入ります。この連載は継続中で、この夏には、一昨年沖縄を訪れたオリバー・ストーンも登場しました。琉球新報のウェブ版には掲載されず紙面のみでの連載です。

★県外からは、丸善・ジュンク堂のネット本屋から注文ができます。http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?isbn=9784897421933



このブログ、年末にかけて、強力な原稿をいくつかアップする準備をしておりますので、どうかご期待ください。

乗松聡子 @PeacePhilosophy

和解に向けて(Towards Reconciliation)~アジア太平洋戦争終結70周年~

Posted on Saturday, November 28, 2015 No comments
10月17日バンクーバーで行われた高嶋伸欣氏(琉球大学名誉教授)の講演に出て、高嶋氏にインタビューもしてまとめたレポート、地元のライター原京子さんによるものです。


原 京子

10月17日(土)に、バンク―バー・ユニタリアン教会に於いて、日本より来加した高嶋伸欣氏を招いての講演会「和解に向けて(Towards Reconciliation)~アジア太平洋戦争終結70周年~」が開催された。
講演より。高嶋伸欣氏と、通訳の乗松聡子
(写真提供 BC ALPHA)

琉球大学名誉教授である高嶋氏は、元高校社会科教員としての経験を生かし、教科書執筆や教員養成に取り組むと共に、40年以上もの間、戦争の傷痕に学ぶマレーシア/シンガポールの旅を主催、日本軍占領時代の歴史や戦争の記憶の調査研究や出版にも関わってきた方である。

講演会では、40年に渡り東南アジアを訪れる中で、高嶋氏が人々と分かち合ってきた経験を伝えていただいた。会場には、中国各地、韓国、シンガポール、マレーシア、フィリピン、先住民、日系人、そしてヨーロッパ系カナダ人ら100人余が参加し、それぞれの立場から今後の自分自身の歩み方について、前向きに考える貴重な時となった。
講演会の報告とともに、高嶋伸欣さんがこれまで歩んでこられた人生について、レポートさせていただこうと思う。そこには、教員として、歴史家として、そして人間の生き方として、私たちの学ぶべきものが多くあるからである。

Ⅰ 社会科教員としての歩み
1910年 高嶋氏の父、高島信太郎と妻ハナ
(パスポート写真)
1942年4月、太平洋戦争が始まって数か月の時に東京・杉並に生まれた。幼かった高嶋氏自身には、辛い戦争の記憶はあまりない。父親はバンクーバー郊外のリッチモンド市ステイーブストンの日本語学校の初代校長として文部省から派遣され、1910年12月から10年間をカナダで過ごしている。バンクーバーは、高嶋氏にとって特別な思いのある場所だったそうである。(今回の来加時に、高嶋ご夫妻は現在も存続しているステイーブストン日本語学校を訪問された。)

大学時代、地理学を専攻していた高嶋氏は日本全国を旅して回った。九州から北海道まで、各地を見聞した。農村の人々と話す機会もあり、戦後に海外の植民地から引きあげてきて農業を営んでいる人たちに出会った。この人たちは、急斜面や泥炭地など普通は農地にしないような場所で農業をしていかなければならない状況にあった。「日本の社会にこんな苦しんでいる人がいるのだということを、社会の授業では聞いたことがなかった。そういう勉強ができる場を作りたいと思いました」。こうして高嶋氏は、社会科の教員への道を歩み出すことになる。

大学院在学中から、正しいと信じたことはとことん主張した。相手がたとえ教授であっても妥協せず、納得のいくまで議論を重ねて真実を追及した。そんな高嶋氏の気骨ある精神が評価され、東京教育大学(現・筑波大学)付属高等学校の社会科教員に採用される。
主体性を持ってユニークな教育を行っていた社会科教員のグループの中に入り、“教科書通りの授業をしない”という方針のもと、充実した授業作りに専念した。

教科書を使わず独自のプリントを使う授業をする中で、生徒の中から“自分の都合のいいところだけを取り出して教えているのじゃないか?抜き出している部分の前後を見せてほしい”という厳しい要望が出たことがあった。納得してもらうためには、さらに勉強し生徒を納得させる“証拠”を示していかなければならない。すべての授業が真剣勝負である。「権威ある学者が言っているから、とか、教科書に載っているからではだめなのです。自分の頭で考えて納得してもらえる授業作りをしなければなりません」。30年もの社会科教師としての経験は、高嶋氏を知る上では切り離せないものである。「歴史というのは、年号を覚えるだけじゃない。そこにどんな人がいたか、どうしてそうなったか、それがどんな意味もつのか、それを考えることで歴史が立体的に見えてくるのです」。そして、そこからまた現在の私たちの進むべき道も見えてくるのである。

Ⅱ 東南アジアとの関わり
東南アジアのイメージがどんなものか、生徒からアンケートをとったことがある。経済的に貧しい、犯罪が多い、不衛生、文化水準が低いなど、大人のアジア観がそのまま映し出されていた。”能力的にも日本は優秀だ“という間違った思い上がりをなんとかしなくてはならないと思ったが、いきなりそのことを言っても答案やレポートで要領よく答えるだけで、解決にはならない。どうしたらわかってもらえるだろうかと考えていた。

1975年、東南アジア訪問の機会がやってきた。兄がバンコク(タイ)の大使館に赴任し、そこを夏休みに訪ねた。バンコクから国際列車でマレーシアに行き、授業の教材とするスズ鉱山やゴム園などの写真を撮るのが目的だった。

食堂に入り食事を頼んでいると、ひとりの人が近づいてきて「日本人か?」と尋ねる。そうだと答えると、「このあたりで、日本人が住民を殺したのを知っているか?」と言う。そういうことはありうるだろうと思いながらも、「知りません」と言うと、その人が街中の追悼碑に連れて行ってくれた。文字の拾い読みだったが、確かに日本兵が虐殺を行ったいきさつの記されている追悼碑であった。

日本に帰国して調べてみたが、資料がまったくない。当時、東南アジアの日本軍の戦跡を扱っていた研究者や記者は、ほとんどいない状態だった。「これは、自分で調べるしかないと思いました」。この時から、高嶋氏の毎夏の東南アジアの訪問がはじまった。

2014年8月15日、クアラルンプール市内の追悼式で

初期の頃は、レンタカーを借りてひとつひとつ墓地を訪ね、虐殺のあった現場にも一人で行くことが多かった。「なぜ日本人がここに来たのか?」と責められ、石を投げられたこともある。しかし、「日本人の中にもこういう人がいるのだから」と守ってくれる現地の人もいた。訪問を続けていく中で、「学校教師として、日本の侵略の事実を日本の生徒たちに正しく伝えたい」ということが少しずつ理解してもらえるようになり、情報集めに協力してくれる人が現れてきた。現地の若い新聞記者たちの中にも、「日本人がやっているのだから、地元の我々自身が調べていくべきだ」という動きが出てきて調査が進むようになり、現在ではマレー半島、シンガポール、東マレーシア(ボルネオ島)の各地で、日本軍による住民虐殺の追悼碑・墓地が70か所以上も確認されている。

日本人の教員仲間からも、一緒にやろうという人が出てきた。1982年には、教科書検定で日本軍の“侵略”を”進出“に書きかえさせたという出来事があり、中国や韓国からの抗議が強く起こっていた。「このことに関しては、我々ひとりひとりにも責任がある。間違った教育はしないで、教科書に書いてある無しに関わらず、真実を伝えていこう」という教員仲間らが集まり、1983年から“東南アジアに戦争の傷跡を訪ねる旅”を始めることになった。第1回目には、30名以上の参加者があった。このツアーは、今年の夏で41回目を迎えた。 

Ⅲ 講演会「和解に向けて」より
10月17日の講演会では、高嶋伸欣氏のこれまでの調査結果や経験が紹介された。語りつくせない中からのほんの一部であるに違いないが、たいへん印象深いものであった。

*歴史修正主義に対抗していくには
戦後の日本は、憲法により二度と戦争はしない国になったと説明をしているが、近隣諸国では、“日本には軍国主義が残っている”という警戒心を持ち続けていることを、東南アジアに行くと痛感する。日の丸、軍旗、靖国神社などは、辛い戦争の記憶を思い起こさせるものであることに、日本人自身は気づいていない。

シンガポールのリー・クワンユー首相は、1990年の講演の中で「日本の社会の指導者たちが戦争を知らない世代にすっかり入れ替わった時には、再び軍事力を強化する国になるだろう」と予測して、世界中に注意を呼びかけた。
シンガポールの新聞『聯合早報』に載った
リー・クワンユー首相の言葉


現在、その予測通りのことが起きているが、日本国内ではそのように世界から見られていることに、ほとんど気づいていない。

日本軍が戦争中にどのような加害行為をしたか、マスコミや歴史教育で伝えてこなかったことがひとつの原因。また、歴史的な事実を歪めたり隠したりする「歴史修正主義」が、一部の政治家やマスコミによって力を持ってしまっていることも大きい。1983年からは教員や関心のある一般の人・高校生から参加者を募って、“東南アジアに戦争の傷跡を訪ねる旅”を始めることになった。こうした歴史的事実の歪曲や隠蔽に対しては、ひとつひとつ調査を重ねていき証拠を挙げていくことが必要なのである。

*誤った歴史の認識
太平洋戦争は、真珠湾で始まったと一般に認識されているが、実はマレー半島から始まっている。

日本軍の真の目的は、石油・鉄鉱石などの資源をもつ東南アジアを手に入れること。そのための侵略戦争であった。真珠湾奇襲の前に、マレー半島のコタバルで開戦していたことは、歴史家の間では認められている事実である。東南アジア占領を邪魔するアメリカ海軍の根拠地である真珠湾を奇襲したにすぎないが、そこから開戦したように言われているために、太平洋戦争の目的が本当は東南アジアの侵略であったという事実を、見落としてしまいやすくなっている。

現在の日本の歴史教科書には、マレー半島から侵略を開始した日本軍による加害の事実が具体的に記述され、住民虐殺の追悼碑の写真も掲載されるようになった。真珠湾攻撃よりもマレー半島での戦闘開始が早かったことも、大半の教科書に記載されている。少しずつ歴史の事実が伝えられてきているが、高嶋氏らがこれらの事実を指摘し始めてから正確な記述がなされるまでに、30年以上の時間を要した。(高嶋氏は、政治力に左右される教科書検定制度に違法性があるとして、1993年に文部大臣を被告とする教科書裁判もおこしている。)

*日本軍の行った虐殺の証拠
日本軍は“敵性華僑狩り”(Hunting of Enemy Chinese)という軍事作戦をシンガポール・マレー半島で行っていた。「人目につきにくい場所にいるすべての中国系住民を(女性・子供・老人も含めて)その場で殺害せよ」というものである。明らかに国際法(ハーグ陸戦条約・1907年)違反である。
広島の陸軍歩兵第5師団第一大隊第7中隊の公式記録
『陣中日誌』

高嶋氏らは、これらの虐殺が軍の公式命令によるものであった証拠を1987年に日本で発見した。広島の陸軍歩兵第5師団第一大隊第7中隊の公式記録『陣中日誌』である。この中に、日本軍が毎日行っていた虐殺の様子が、具体的かつ明確に記述されていた。
現在では、東南アジアでの日本軍による住民虐殺を、歴史修正主義者でも否定することはできなくなっている。

*和解に向けて
長年に及ぶ高嶋伸欣氏らの地道な働きにより、埋もれていた歴史が堀り起こされ、また加害者として認識されていた日本人と現地の人々との間に信頼関係が築き上げられてきたことは特筆に値する。

・スンガイルイ(Sungai Lui)集団墓
1942年8月、マレーシア・ネグリセビラン州の田舎町スンガイルイに突然日本兵が現れ、村人を集め、中国系住民だけを並ばせて機関銃で撃ち殺すという事件があった。その後長く密林化していた犠牲者368人の墓が、1984年に見つかった。

戦時下の日本軍は、中国系、マレー系、インド系の住民を互いに反目させる民族分断策をとっていたため、そのしこりがマレーシアには今でも残っているという。スンガイルイ墓地を訪れる中国系の人々を、現地のマレー系農民が嫌い、一時は警察が常駐するほどの険悪な事態にまで及んだ。しかし、マレー系の村長・ムヒデイン氏が「民族や宗教は違っても死者を葬る墓の尊厳に変わりはない」と住民を説得し、墓のある土地を墓地公園用地として譲ってあげようということになった。ムヒデイン氏は、16歳の時に、駅前広場で中国系住民が虐殺されるのを目撃しており、高嶋氏らにその体験を涙を流しながら語ってくれた人だという。

墓地の整備にあたり、日本国内にも「加害者側の日本人として償いたい」と呼びかけたところ、個人や団体から寄付が寄せられた。事件の加害者であった日本側からの寄付の申し出は、断られることも予想されたが、中国系の村長・林氏は「喜んで受ける」と言ってくれて、和解と協力のもと、現在スンガルイ集団墓はきれいに整備され守られている。
橋本和正さん家族と、スンガイ・ルイの林村長(右)
2015年8月(写真提供:鈴木晶)

・橋本和正(はしもと かずまさ)さんのマレーシア訪問
スンガイルイ虐殺の日本軍指揮官で、戦後に戦犯として処刑された橋本忠少尉の甥・橋本和正さんが、2012年8月第38回目のマレーシア・ツアーに広島から参加した。甥として戦争責任を忘れられないと追悼行事に参加したが、どんな仕打ちを受けるかと心配もしていた。ところが、「辛い立場であるのに、よく来てくれた」と歓迎され、「この事実をきちんと語り継いでいって欲しい」という林金發村長と固い握手を交わした。3年後の今年に、橋本さんはご家族と共に再びツアーに参加しスンガイルイを訪問している。

・被爆者沼田鈴子さんのマレーシア訪問
広島在住の沼田鈴子さんは、1989年のツアーに参加した。ご自身が被爆者であり、建物の下敷きとなって片足を失っている。「原爆投下の3年前に、地元広島の部隊が行ったマレーシアでの行為を知り、被爆者としてでなく、加害者として謝りたかった」という沼田さんの現地でのスピーチに、そこに集まっていた参加者全員が総立ちになり駆け寄って歓迎するという、感動の場面に高嶋氏は立ち会った。(沼田さんのマレーシア訪問についての詳細はこちらへ)
沼田鈴子さん

Ⅳ 高嶋伸欣先生から学んだこと
今回、高嶋伸欣氏のお話しをうかがい、改めて痛感させられたのは、“正しい歴史を学ぶことの大切さ”である。

私自身、自分の受けた教育の中では日本の戦争責任について学んだ記憶がない。私事であるが、私の夫は在日朝鮮人であり、結婚するにあたり夫の家族から「日本人だから」という理由で猛反対を受けた。はじめは、なぜ日本人だという理由で反対されるのかと憤りを感じたりもしたが、そこで初めて自分で歴史を勉強してみて愕然とした。日本軍の犯した過ちにより、どれほどの痛み苦しみが現在にまで残されているのかを知り、日本人として打ちのめされる思いだった。ショックではあったが、そのことを踏まえて、時間をかけて少しずつお互いの人間関係を作り上げていくことにより、今は亡き義父・義母と、とても良い関係を作り上げることができたと思っている。まず、事実を知り、受け止めることが第一歩なのだと思わされる。

日本の中にいると、他国の歴史に気を遣わずに済まされてしまうことが多い。今回講演会の行われたバンクーバーは、多民族が共存する多文化都市であり、講演会会場にも様々なバックグラウンドの参加者がいた。被害者である中国系の参加者、加害者である日系の参加者が、隣同士に座っているということが起こる。それが、当たり前の光景なのである。
一歩日本という国の外に出れば、私たちは嫌でも“日本人”としての看板を下げなければならない。日本人としての歴史について、「知りませんでした」では済まされない場面に出会うことも多い。公園のベンチに座っていて、たまたま隣に腰かけていた中国系のご婦人に、「あなた、昔、中国で日本人が何をしたか知っている?」と問われる、ということが実際に起こる。こんな時に、歴史を知っていて対応できるか否かで、本当に大きな違いがある。

国際化が叫ばれる現在、日本人として自国の歴史に無頓着ではいられない。“知らない”ということは、時に人を傷つけ、亀裂を深めることになる。”知らない“ということは、大変無責任で恥ずべきことだと思う。

帰国時バンクーバー空港で
高嶋伸欣・道夫妻
また、今回高嶋氏から教えていただいたのは、「和解はできる!」という希望のメッセージだった。長年に及ぶ地道な働きの中で、高嶋氏が積み上げてきた地元の方々との信頼関係は、胸に迫るものがあった。気の遠くなるような、丹念な誠実な作業の積み重ねであったに違いない。高嶋伸欣氏らの誠意と努力がしっかりと受け止められているということは、私たちにとって大きな希望である。信念をもって歩まれている高嶋氏の人生から、多くを学ばせていただいた。

「反日」なる言葉が氾濫している昨今である。日本に都合の悪いことを指摘する人を、すべて「反日」とする傾向である。過去の過ちに蓋をして、日本があたかも非の打ちどころのない国とすることが果たして「愛国」なのだろうか?

ネット上で高嶋氏を「反日」と呼ぶ投稿を見る。日本軍の傷痕を、真実を掘り起こすことによって、このようにして、現地の人々との信頼関係を築きあげ、“日本”というかつて加害者であった国への恨みを和らげ、日本人の悪いイメージを改善させてきた高嶋氏を「反日」と呼ぶのは大きな間違いである。

真の「愛国者」であるのなら、正しい歴史を受け止め、その上で日本という国の価値を高める努力をするべきではないか。間違った愛国、間違った歴史認識は、ますます日本の評価をおとしめることになる。高嶋氏たちのような誠実な働きの積み重ねこそが、「日本」という国を草の根から再認識・再評価されるように動かす力なのだと感じる。

現在の歴史修正主義の横行、日本政府の方針は、「日本人としての責任問題である」と、高嶋氏は指摘する。私たちひとりひとりが日本人としての自覚を持ち、自分たちの歴史に責任を持たなければならないことを痛感させられた。そして、各自が新たなる一歩を踏み出さなければならない。

最後に、遠く日本からバンクーバーまで足を運び、私たちに力強いメッセージを届けてくださった高嶋伸欣先生、志をもった教員の方々が作り上げられた素晴らしい教科書・『ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎発行)をご紹介くださったおつれあいの高嶋道先生、今回の企画を主催してくださったアジア太平洋戦争終結70周年バンク―バー実行委員会の皆様とピース・フィロソフィー・センターの乗松聡子さんに、心から感謝いたします。

はら・きょうこ
フリーランス・ライター。神奈川県出身。1990年、在日コリアンの夫と結婚。1994年、渡加。現在は、バンクーバー郊外に在住。異文化の中での5人の子供の子育ての経験を通して、主婦として母としての視点から、情報を発信。バンクーバー九条の会・会員。平和を考える会「White Rock の会」・共同主催

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